常に人生の迷子。

 私はさっきから
 「方向感覚ってどこで身につくのだろう」
 と考えている。いや、本気で考察している。

 余り認めたくないことだが、私自身の方向感覚はどこかで失われてきた。ミラノの風になったかパリの灯りになったのかは不明だが、確かにどこかに出かけたまま帰ってこない。
 己に何があったのかと問うのだが、小学校時代のある日行われたオリエンテーションのチェックポイントをゴールから順番にたどったあたりから実はおかしいのではないかと思っていた。大学時代、中庭を挟んだ6号館と7号館の区別が4年目になるまでつかなかったのも記憶に新しい。ああ、美しい建物だったのに。

 つまり、わかりやすく言えば迷子になったのだ。家から徒歩10分圏内のご近所で。

 ご近所に、日本の食料品を売っている「片桐」というお店がある。これが値段は高いが名前が気に入っているのとやはり日本の食材は便利なので重宝しており、私の目指す先はそこである。そこまではわかっているのだが……ねぇ、ここはどこ。

 ニューヨークという街は、意外なことに京都の碁盤の目以上に整然と整ったたたずまいを見せている。東京の街中が恥じ入る勢いで、わかりやすく通りが綾織物のように街を成す。そのわかりやすさは、日本とは比べ物にならない。

 しかし、何故たどりつかないのか。
 想像するに、「土地勘」というものが重要なのではないかと思われる。
 周囲を見ても同じ建物にしか見えない上に、生来の好奇心から面白そうな店を発見すると心奪われ基本的にどこに自分がいるのかを忘れる。
 迷子脱却の日はいつの日か。

※このあと、偶然電話をかけてきたD氏に場所を尋ねて無事到着。呆れられた。