小市民の憂鬱。

「House warming partyを今週末にするよ」
 そもそもの発端は、多分笑顔のD氏の言葉であったろうと思う。

 後にHouse warmingが比喩として用いられており私の理解がいまいち間違っていたことが判明するが*1、いずれにせよ「party」である。
 「ドウスレバイイノダソレハ」
 疑問符を飛ばした小市民な私の頭の中。
 D氏の話をまとめると、NYの日本人社会においては一般的なイベントであるらしい。この世界、少なくない頻度で自宅にてパーティが開催される。主催者は料理や酒を用意し、招かれた客は酒や手作りの料理を差し入れる。主催者側に多少の負担があるにせよ、色々な家で交互に開催されることによって持ちつ持たれつの関係が成立するわけで、ある意味合理的なシステムである。
 これもまた、ある意味異文化交流*2

 ………が、知ってしまった以上、自宅で「ぱーてぃ」(それはもうカタコトレベルだ)をせねばならぬという想像を絶する事態を招くことになるわけだ。料理が特にうまいわけではない初心者嫁には到底越せないハードルかと真剣に懸念した。
 「世の中に知らなくていいことは何一つない」というのが私の持論だが、それでも頭の隅で少しだけ思った。
 「……知ってしまった以上、越えなければならないハードルもあるのだ……」と。

 結果的に、バラエティに富んだ出席者によって、なかなか興味深い時間を過ごすこともできた。手作りのチョコレートロールケーキ(売り物よりも美味しい!)という私が手も足も出ないような素晴らしいものが持ち込まれたりと、幸せだったことも多い。次の機会はもう少しきちんとできるのではないだろうかという気はする。

 しかし、ゆめゆめ忘れることなかれ。
 新しい文化を学ぶ時は、常に幾分のハードルを伴う現実を迎え打たねばならぬことを。

*1:ウィキペディアより:A housewarming party is a party held on the occasion of moving into a new residence. It is an occasion for the hosts to present their new home to their friends, and sometimes for friends to give gifts to furnish the new home. →つまり、私は引越しておらず、D氏の部屋に転がり込んだのでむしろwelcome partyに近いのかもしれない。

*2:一身上の都合により、私は異文化理解活動には積極的でありたいのである。