何故曲がるのか。


 例えば、某大学の正門までの道。
 この構図が好きだ。空間のど真ん中に、人の歩む道や通路があるという構図。
 結局毎回微妙に角度がずれるらしく全体が曲がるのだが、好き好んでこの真っ直ぐな道が突き進んでいるかのような角度を選ぶ。

 例えば、閑静な住宅街。
 結局微妙な角度になったが、ひとりこちらに向かってくる黄色い自転車の彼がいい味を出していて、実は結構気に入っている。

 例えば、実家の誰もいない電車の中。
 ご存知だろうか、総武本線。素敵に田舎のため、1車両に自分以外人がいない状況が時折成立するのだ。何をしても自由だしと、不必要に場所を変わって遊んだりする。
 しかしこの手の写真を撮るたびに「毎回歪むにせよ、究極的にはどこかで見た構図だ」と思っていたら、ふと気づいた。
 東山魁夷の「道*1」だ。

 昔、祖母と好んで見に行っていた画家であり、青色の美しさに惚れ惚れしつつも最も衝撃を受けたのはこの絵であったことを思い出した。繊細な緑の濃淡で描かれた草の中に、一筋の道が茜色を帯びた空の果てへ続く。ああ、とても好み。
 私にもう少し真っ直ぐな心根があれば、もっと何をかを伝え得る写真になるのだろうか。うむ、結構抜本的に考慮すべき問題が浮上したかもしれない。

*1:1950(昭25)