趣味への走り方。

  人をまつ身はつらいもの
  またれてあるはなほつらし 
  されどまたれもまちもせず 
  ひとりある身はなんとせう。
 知る人ぞ知る、竹久夢二の「ひとり」という詩である。
 森見登美彦氏の『夜は短し歩けよ乙女*1でさらりと引用されているのだが、かなり効果的で胸に響く。疲れている時に口に出すと、崩れ落ちたくなるほどだ。
 この詩は、(前半においての「まつ/またれる」は絶対に逆だろうと色々と全力でツッコミたいことことはあったりはするのだが)泣ける。
 ということで、呟くうちに本が恋しくなって毎度おなじみBryant ParkのBOOK OFFと紀伊国屋へゴー。
 たった3時間半程度の滞在だったが、恐ろしいほどにほんわかな心に生まれ変わる。心の澱がすっきりとなくなるといえばいいのか、羽の生えた心とはかくのごとしか。本屋前と本屋後の自分の変化は、本人でありながら驚くほどだ。
 昔は「中毒ってこういうことを言うのか」と思っていたが、最近では本当に好きなものと接すれば、多かれ少なかれ人はそういうものなのかもしれんという結論に達しつつある。この場合の「ひとり」というのが別の意義を持ちえていたとしても、好きなものに没頭しそして語る人々は、いつでも最高に魅力的だ。
 「ひとりある身で本を読む」などとしたら、竹久夢二にその乙女的情緒のなさを叱られるだろうか。

*1:森見氏のこの作品、そろそろ何十回読んだのかすら不明。山本周五郎賞にせよ本屋大賞第二位にせよ、こういう飄々としてそれでいて切実な若者の青春時代が御伽噺のようにフィクション化されて描かれている作品が評価されていることが何だか嬉しい。ちなみに、この作品、尾崎放哉の「咳をしても一人」が引用されていたりと、本当にこの人は活字中毒の泣きツボを相当わかっていると思う。