「いつか」はない。

 【読まれる前に】
 今回は、明るいネタ系日記ではありませんので、以下はどうか元気な時やお疲れではない時に読むこと、もしくは読まれないことをおすすめします。ちょっと個人的すぎる話になりますがどうかご容赦ください。





 








 普段はこういうことはあまり日記には書かないようにしているのですが、珍しくリアルな話をひとつ。
 自分で、決して忘れないように。
 何とか日記らしく書こうとしても手が震えてどうにも書けないので、ある友人に送ったメールをそのまま転載してしまおうかと思います。
 彼女からの返事にまた声をあげて号泣するわけなのですが、とりあえず今回は自分のメールのみ。
 少しでも、これを読む誰かの心に届いたらいいかなと。
 以下、その友人宛のほぼそのままのメールになります。


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元気か。
元気だろうか。
昨日ちょうど君あての年賀状を書いていたのだ。
多分明日か明後日には投函する。
その時に「久しぶり」の挨拶をしたのだが、
どうしても話したいことがあってメールをした。
ちょっと長い前置きがあるが聞いてくれ。


実は、祖母が亡くなった。
86歳だ。
30代の時に胃がんとなり、胃を全摘出。
その時に、あと5年と申告された身だ。

大往生だといえるだろう。

ボケることもなく、
最後までしゃんと一人暮らしをして、
自分の意志で死んで行った。
ある意味、祖母らしい逝き方だ。

私のもとには葬式が終わった昨日に連絡がきた。
「海外で生きる以上、覚悟の上のはずだ。帰る必要はなし。」
とても、父らしいメッセージだ。

母と先ほど電話をした。
無事にすべてが終わったらしい。


そして、今。
涙も枯れ果てて、ぼんやりして。
のたうちまわるほどに私は今後悔している。

何故、あの時電話をかけなかったか。
何故、あの時手紙を送らなかったのか。

私は祖母とは仲がよかったので、
たまに電話で話などもしていた。手紙も送っていた。
祖母は大層私が好きだったので、
それが大きな意味を持っていたことは知っている。

何故、あの時また今度にしようと電話をかけなかったのか。
何故、あの時次のタイミングのいい時にでもと手紙を書くのを伸ばしたのか。

私ができることなどたかがしれているが、
しかもそれが自己満足なのかもしれないが、
それでも後悔がどこまでも尽きることがない。
「いつか」なんてものは、
ない時もあるのだと、そう強烈に学んだ。


だから今、君にメールを書いている。

日記が途絶えているが生きているのか。
風邪の方は治ったのか。
また辛い思いをしていないのか。

心配はしていたが「機会がある時に」などと思っていたのだが。
それはもうやめにする。

気になった時にメールする。電話もする。

「今」この瞬間に連絡をすることが、
いちばん大事なことだとわかったからだ。


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 手元にはもう送ることができなくなった祖母宛の年賀状が1枚。
 「おばあちゃんへ お土産話をもって会いに行きます。」と書いたあのとき、それが既に祖母が亡くなった後だったそうです。
 この手紙をどうすることもできず、ただ涙がこぼれ落ちます。

 皆さんは、同じ後悔をすることがないようにと祈ります。


 そして、最愛の祖母へ。どうか安らかに。